骨髄バンク・ドナー提供をしました

松井一矢
所属先:ランニングクラブ神戸AC (陸連登録名称:神戸えーしー)

私と骨髄バンクとの関わりの始まりは21歳の時。私は定期的に献血をしていたのですが、その日は献血ルームに骨髄バンク説明員の方が居られ説明を受けました。登録には興味関心があったものの、登録する為にも大きな手術が必要だという思い込みがあったので躊躇をしていました。説明を聞くと「そんな簡単に登録できるんだったら是非」という気持ちで登録手続きをしました。オレンジ色の封筒が届いたのは登録から1週間後くらいでした。自分を待っていた人が居たことに、もっと早く登録すれば良かったという気持ちが溢れました。実際には、提供するまでには至りませんでしたが、骨髄バンクについて広めたいと思うきっかけでした。

骨髄バンクのたすきをかけて走っています

それから6年後。私に2回目の適合通知が届きました。私はアスリートとして世界選手権に出場をするまでに成長し競技優先の活動をしており、ドナー提供に躊躇する気持ちが育っていた頃、コロナ禍で試合が延期になったこと、自治体の助成制度の開始、勤め先で骨髄バンク休暇制度が導入されるというタイミングが重なり、ドナー提供をする意思を固めました。自分がアスリートとして活動できていることへの感謝、健康で活動ができている恩恵を還元したい!という気持ちが次第に強まり、コーディネートも順調に進んでいきました。

医師からドナー提供手術後に、後遺症が出る可能性があることや、全身麻酔のリスクについて聞き、ドナー提供をすることで選手生命の危機に陥る可能性を受け入れ、どんな事態が起きても、その条件を受け入れ、できることを頑張れば良い。患者さんが感じる痛みを想うと自分が感じる痛みは小さいもの。アスリートの仕事は「希望」と「勇気」を届けることだという信念を貫き、最終同意にサインをしました。願いは1つ「患者さんが元気に社会復帰をして欲しい。」その想いが届くことを願って、ドナー提供手術に臨みました。

ドナー提供時の病室から

全身麻酔は注入後、数秒で寝ました。気付いた時にはドナー提供手術が終わっており、あっさりした感じ。麻酔が切れると、痛みを感じ始め、私の場合は予想よりも痛みが残るんだなという印象でした。退院は提供してから2日後の午前中。お辞儀の角度でも痛みがあるくらい、退院後3日間は痛みを感じて安静に過ごしました。それから1週間が経過する毎に、痛いと感じる強度が半減していき、4週間で完全に痛みが無くなりました。

トレーニングの再開は、健康診断(事後)にて異常なしの判定を受けてから。提供から約1ヶ月間は自宅と会社の往復時のウォーキングだけで過ごし、ランニング(高強度)の再開は提供から5週間後から行いました。その時には体力の低下が著しく、少し走っただけで疲れやすさを感じ、筋力低下も感じました。ここから体力を戻し、過去以上の成績を出すためには本当に相当な努力が必要だと思いましたし、想像以上のパフォーマンス低下がありました。ですが、提供したことを後悔したとは思っていません。アスリート生活を初めて以来、過去一番パフォーマンス能力が低いところから這い上がれる楽しさと、成長していく喜びを実感する日々は、とても面白味を感じます。

ドナー提供をさせて頂いたことで、今まではトレーニングでしか使っていなかった時間が、家族と過ごす時間に変わり、新しい幸せの感覚を味わう日々を過ごせました。おかげさまで自宅トレーニング方法の開発や、新しい鍛え方に挑む機会にもなりました。

これからは、1人でも多くの人に骨髄バンクを伝え、興味関心を持って頂き、1人でも多くの命を救えるように、アスリートとして日々精進し活躍を目指します。患者さんの切実な想いをみんなに届けられるよう、私自身もがんばります。

ドナー登録説明員としても活動しています