わたしの骨髄ドナー体験記

ぎりぎりの年齢での骨髄提供は“天命”、これからその先へ

小田 毅 さん
小田ヒューマン・クリエイト 代表

骨髄提供を終えて

正直、ほっとしたというのが本音です。

患者さんは、骨髄移植の日程が決まると、移植日に照準を合わせ、大量の抗がん剤投与や放射線照射により自身の体の抵抗力をなくして待っているとお聞きしていました。非常に苦しく辛い思いをしながらも、この日を祈るような気持ちで待っていたのだと思います。

そのようなことを思いながら気をつけていたつもりが、提供の1週間ほど前に風邪を引いてしまい、本当に焦りました。インフルエンザだったらどうしようと。毎年、1~2回は風邪を引くのですが、今年はそれがなく、心の中に油断があったのだと思います。自分自身の詰めの甘さが恥ずかしくなりました。幸い、多少の咳と鼻水程度の軽い風邪で済みました。助かりました。患者さんに迷惑かけることなく、予定どおり骨髄提供に臨むことができました。本当によかったと思っています。

骨髄提供は、思っていたよりも「あっさりと終わった」感じです。

点滴の太めの針を左腕に刺される時は、「痛っ・・」と思わず言いそうになりましたが、すぐ全身麻酔で眠ってしまい、気が付いたのは約3時間後の自室のベッドの上でした。確かに、麻酔が切れた翌日は、採取した腸骨付近にずしんと重い痛みを感じましたが、立ったり歩いたりすることには、何ら支障はありませんでした。その後数日間、寝返りする時や、何かが採取部位に当たった時には多少痛みを感じたものの、徐々に痛みは引いてきて、生活面で困ったことはありませんでした。

ドナー登録から骨髄提供に至るまで

最初に、ドナー登録を行ったのは、かれこれ20年も前の話です。

家内から「骨髄ドナーに登録しようか」という誘いを受けたのがきっかけでした。娘が1歳、息子がまだお腹の中にいるという頃でしたので、子を思う母の情というか、命の大切さというか、そのような思いが言葉に表れたようです。反対する理由もないし、第一、世の中のお役に立てる素晴らしいことだと思いましたので、「いいね!」と言って、早速夫婦で登録に動いたのを憶えています。その後、10年ほど経って、一度ドナー候補に挙がったことがあるのですが、より適合度の高い方がいらしたようで、その話は終わってしまいました。何か残念な思いを感じながらも、しばらくすると日常の生活に紛れて、忘れてしまっていました。

そして、今回、登録年齢制限ぎりぎりの、55歳の誕生日が1カ月後に迫った頃、骨髄バンクから封書が届きました。再び、ドナー候補に選ばれたのです。正直、もうすぐ登録期間が終わることに、私は気づいていませんでした。同封されていたハンドブックを見て、「あ、年齢的にぎりぎりのタイミングだったんだ。」と知りました。“天命”というのは大げさかもしれませんが、何となく「ようやくここで、お呼びがかかったのだな。」とも思いました。それもあって、ドナーになることには、迷いも不安も全く感じませんでした。

コーディネーターの方が、私の都合に配慮しながら、親切、丁寧に対応してくれましたので、確認や同意の面談、術前検診は、何の問題もなくスムーズに終えることができました。骨髄提供の日程調整も、「この月から仕事が忙しくなるので、それまでにできたら。」という私の希望に、基本的に合わせてくれました。もしかすると、私の知らない所で、患者さんや医療機関、骨髄バンクの方々が、困難な調整をされていたのかもしれませんが。おかげ様で、最初に封書を受け取ってから骨髄提供までの約3カ月間、比較的順調かつ平穏に対応することができました。滞りなく御役目を果たせたのではないかと感じています。

患者さんのこと

詳しいことは分かりませんが、患者さんは私の子供たちと年齢が近いようです。若くして、これまで本当に苦しく、辛く、悔しい思いをされてきたのだろうと思います。死に直面して、何度となく絶望感を抱いたのかもしれません。ご両親も、子供さんのそのような姿に、どれくらい心を痛めてこられたのか、想像するだけでも胸が締め付けられるようです。今回の移植に期す思いは、ご本人、ご両親とも、どれほど大きいものだったか量りしれません。

実は、つい先日、患者さんから御礼のお手紙を頂きました。丁寧な筆致で、礼儀正しい文章が記されていました。一生懸命、心を込めて書かれた様子が窺えました。提供後の体調は良く、経過は順調とのことでした。本当に良かったです。早速励ましの手紙を返信しました。もう、”患者さん”とは呼ばない方が良いですね。ぜひ、健康を取り戻して、若い命を精一杯燃やして下さい。今までできなかったことや我慢していたことに、思う存分チャレンジして、「あー良かった」とか、「しまった、失敗した。よし、もう1回!」とか、直に肌で感じながら、甘辛を味わいながら、力強く生きて欲しいと思います。

今、折しも、「令和」の幕開け。英語では「令和」を「Beautiful Harmony=美しい調和」と訳すそうです。「共助」の時代という人もいます。骨髄移植は、骨髄という命のバトンをつなぐ、まさに「共助」であり、関係する全ての人たちの「Beautiful Harmony」で成り立つものだと思います。今回、移植の「和」に関わらせて頂いて、私は、本当に良かったと思います。

これからのこと

骨髄ドナーとして骨髄提供を終え、ほっと一安心していた矢先、日経新聞に掲載されていたキャンサーネットジャパンの古賀真美さんのコラムに出会いました。非常にタイムリーでした。と言いますのも、ドナーとして、それなりの貢献はできたつもりでしたが、ついに登録年齢制限を超えてしまいましたので、今後もうドナーになれるチャンスはありません。せっかく頂いた機会、これで終わってしまうのはもったいないと思っていましたので、何かできることはないか考えていた、そういう絶妙のタイミングでした。

私は、HLA(白血球の血液型)の適合率が100%に満たないことが気になっていました。骨髄バンクから頂いた「ドナーのためのハンドブック」には、「日本人はHLAが似ている人が多く、骨髄バンクに登録した国内の患者の約95%がHLA適合者を見つけることができるようになりました。」と書かれていました。以前と比べると進歩してきたという趣旨ですが、私は、残る5%の適合ドナーが見つからない人たちのことが非常に気になっていました。若くして亡くなる人もいるのではないかと。そうであれば、この機会に、ドナー登録者を増やすための活動をスタートさせようと考えました。

早速キャンサーネットジャパンに入会し、面会を申し込んで、いろいろとお話しを伺いました。このドナー体験記を記すことになったのも、この面会がきっかけですが、それよりも、ここで重要なことを知りました。「ドナー候補になっても、仕事が休めないと断られたり、家族の同意が得られなかったりで、実際に提供に至らないケースが非常に多い」という事実でした。つまり、ドナー登録者を増やすだけでなく、提供に結び付けていく工夫と働きかけが求められるということです。

私は、現在、個人事業主ですので、仕事の融通は利きやすく、検査や入院などの日程調整に苦労することはありませんでした。もし、私が会社員で、例えばある責任あるプロジェクトを任されていたとしたら、果たして問題なく骨髄提供することができただろうかと、考えてしまいました。でも、一方で、同じプロジェクトメンバーの一人が骨髄ドナーに選ばれたと知ったら、メンバー全員で協力したり、他のプロジェクトから応援を求めたりしながら、何とかして骨髄提供を実現できるようメンバー全員が一丸となって努力するのではないかとも考えました。ドナー候補であることを皆と共有して、団体戦で挑めば良いと思います。

個々の日本人は良くも悪しくも、「仕事を休むことはいけないことだ。」とか、「仕事を休んで人に迷惑をかけるのは良くないことだ。」と考えがちです。確かに、仕事や仕事仲間、お客様を大事にすること自体は良いことなのですが、やや独りよがりで近視眼的になるきらいがあるのではないでしょうか。もっと高い視座に立ち、広く社会を俯瞰して、仲間と一緒に「人命の尊さ」や「人助け」に思いを巡らしてもよいと思います。本来、日本人は、「共助」や「Beautiful Harmony」に価値を見出すのが得意なのですから。

企業にとっても、今後ますますESG(環境、社会、ガバナンス)経営が重視されることでしょう。その中のS(社会)の重要な取り組みに、骨髄バンクへの登録拡大や、骨髄提供の促進を位置付ければ、世の中への訴求効果は増大すると思います。

骨髄提供とは、全身麻酔による手術を受けるわけですから※、絶対安全ということはありません。でも、上述のように、私が実際に骨髄を提供して感じたのは、「恐れるに足りず」というのが率直な思いです。ここ最近、様々な人から話を聞くにつけ、どうも、骨髄を脊髄(せきずい)と混同して、「神経を痛めて立てなくなるのではないか。」といった勘違いをされている方が意外と多いようです。この点では、キャンサーネットジャパンが力を入れておられるような、正しい情報の発信と流通が非常に大切だと感じました。このような地道で粘り強い取り組みが、ドナー登録者を増やし、家族の理解を深めることにつながると思います。私のこの体験記も、多少なりともこれらに寄与できるなら、こんなに嬉しいことはありません。

以上から、今後は、①ドナー登録者の拡大、②企業や社員の骨髄提供への理解促進、③家族の骨髄提供への理解促進、を3大目標に掲げ、企業訪問などできることから一つひとつ取り組んでいきたいと考えています。

※末梢血幹細胞を提供する方法もあり、その場合は全身麻酔の必要はありません