慢性骨髄性白血病の患者さんの中には、周りに同じ病気の人がいなくて心細い思いをした人もいます。積極的に患者仲間を作り、情報を集めることで不安と孤独を乗り越えた、60代男性に治療の日々を語っていただきました。
「危険な状態」に追いつかない気持ち
2016年、慢性骨髄性白血病(CML)と診断を受けて、初めて聞く病名に「こわいな」と思いましたが、この長い名前の病気は「なんだろう」という疑問のほうが大きかったです。医師の説明を聞いても、病院でもらった冊子を読んでも難しすぎて正直よくわからなかったです。
診断のきっかけは人間ドックでした。最初に身長と体重を測り血液検査をした後、他の検査が残っているのに医師に名前を呼ばれたんです。診察室に入ると「血液検査の数値に異常がある」と言われ、すぐ血液内科のある病院を紹介されました。自覚症状はまったくなかったです。CMLは基本的に外来治療ですが、私の場合、白血球の数が70,000/μL以上あったので「家族を呼んでください。すぐ入院しないと危険です」と言われたんです。怖かったかと聞かれたらそうなんですが、自分に起きていることに気持ちが追いつかず映画の告知シーンのように泣き崩れることはなかったです。
知らないことを知り、不安は減っていった
職場に病気休暇を取って入院し、分子標的薬を飲み始めると白血球の数値は安定しました。職場では直属の上司以外には打ち明けず、なぜかというと同情されるのが嫌だったからです。でも入院したので噂が広がり「何の病気?」と聞かれることが増え、白血病と言うとだいたいの人はびっくりします。今も同情は嫌ですがちょっとは心配してほしい、そのふたつの気持ちが入り混じっている感じです。
退院したのが2月でインフルエンザの流行期だったので、主治医には感染症にさえ気をつければ普通に生活していいと言われました。薬の副作用なのか多少のだるさはありましたが、仕事を今まで通り続けられたのでラッキーでした。
退院してからは1カ月に一度通院し、次の通院までに数値が悪くなったらどうしようと、そればかり考えていました。でも自分で情報を集めて知らないことを知ると不安が減り、情報を得るメリットは大きかったと感じています。最初は高額療養費制度があることも知らず、がん保険にも入っておらず、高価な薬を一生飲み続けるのが不安で「家を売るか、車を売るか」と毎日考えていました。CMLは10万人に1人がなると言われる病気です。経験者に相談したくても近くに同病の人はなかなかいません。そこでFacebookで見付けた白血病のグループに入り、コロナ禍では患者会の仲間とオンラインで集まって情報交換し、「同じ病気じゃないと分かり合えない話」をするのが楽しいです。住んでいる場所は離れていても、同じ病気で頑張っている人がいると思うと心強かったです。
薬を飲まない生活で感じた戸惑いと喜び
2022年2月、治療当初から担当だった主治医の転勤が決まり、そのタイミングで転院しました。寛解状態を維持していたので、新しい主治医に断薬をすすめられ、ちょうど締め切り間近だった断薬の治験があり、募集枠は残り1名。迷わず参加しました。6年にわたり「一日も休まず飲み続けるように」と言われていた薬を、断薬によって「明日から飲まなくていい」と言われると不思議な気持ちですね。今の体調はちょっとだるいですが寛解状態を維持できていますし、薬代がかからないのも嬉しいです。
3年くらい前から移植が必要な白血病の患者さんの助けになりたくて、骨髄バンクのドナー登録説明員のボランティアをしています。月に二回程度の活動を地道に続け、その中で生まれたさまざまな「つながり」に私も助けられています。
取材/文 北林あい