インタビュー

病気になって「一日一日を大事に!」を実践中

2021年2月8日
伊田 雅明 さん
疾患名: 多発性骨髄腫 年齢 50代

ある日、激しい腰の痛みから動けなくなり、下半身麻痺と多発性骨髄腫をダブルで抱えることになった伊田雅明さん。まさかの余命宣告から4年、折れない心を持ち続けた闘病生活とその先に待っていた命輝く生活とは。

「もう一度歩きたい」。腰の激痛から下半身麻痺に

今も下半身に麻痺が残っています。背骨には補強のための金属の棒が入っているので背骨の可動域が狭く、以前は立って行えた動作ができず靴下を履くのも一苦労です。始まりは腰の激痛でした。すぐに救急車で搬送され、翌日には下半身が動かなくなり緊急手術を行いました。痛みの原因は、骨髄腫の髄外腫瘤で背骨が溶け、その破片による脊髄の損傷です。術後も下半身麻痺が回復せず寝たきりになり、主治医に「あと何年生きられますか」と聞くと答えは「5年」。それなら「残された時間を精一杯楽しみたい。もう一度立って歩きたい」と強く思い、そうしたらがんに対する怖さはなくなっていました。

主治医に回復するかわからないと言われましたが、かすかに動く片足の指先を見て「これはいけるかもしれない……。」と希望がわき必死にリハビリに取り組みました。病院のリハビリメニューに加え、そのかすかに動く指先に紐をかけて刺激を与える独自のリハビリをベッドの上で、毎日、起きている間はずっと続けました。その甲斐あってか徐々に足に感覚が戻り、足首と膝が少しずつ動き始め、「無理かもしれない」と言われた自力排泄も行えるようになりました。その後、車椅子、歩行器と、少しずつ歩けるようになっていきました。寝たきりの状態から初めて車椅子に座らされた時の背骨を90度曲げる恐怖、両手で平行棒を握って身体を支え、ぐらぐらの脚を一歩前に出せた時の喜び、これらは今でも忘れられません。

仕事が軌道に乗ってきた矢先の発症。復職への強い思いが治療の原動力

私は10年前に勤めていた会社を辞めてシステム会社を起業しました。しかし、長らく業績は低迷、どん底が続き、ようやく上向き始めた途端に、多発性骨髄腫が原因で寝たきり状態に。多発性骨髄腫を恨む暇もなくリハビリ生活に突入。リハビリが一段落したところで転院。そのまま治療開始の入院。とにかく早く仕事に戻りたくて、退院翌日には休む間もなく松葉杖で客先を訪問。自家移植入院では、退院した足でウィッグ店へ注文に行き、ウィッグが出来上がるとすぐに、「ヅラ」がばれないかドキドキしながら客先を訪問したものです。あんなに必死に仕事をしたのは人生最初で最後です。

自分でもできること。そして現在の病状

多発性骨髄腫の治療を始めるにあたり、朝食は人参とレモンのスムージーだけ、食品添加物はできるだけとらない、ストレスが軽減された生活を送るなど、自分でもできることをやってがんと向き合っていこうと決めて今も続けています。その効果かどうかわかりませんが、寛解導入法ではPR(部分奏功)までしか達成せず自家移植を行なったものの、地固め療法でMRD(微少残存病変)陰性を達成し、今も元気に過ごせています。

病気がくれた気づき。今を精一杯楽しみ先送りする人生は卒業

がんになってよかったとは決して思いませんが、病気のおかげで変われたことがあります。
人は歳を重ねると何かを始めたくてもリスクや人の目を気にして慎重になり、大病をするとなおさら行動をセーブしがちです。病気になる前の私は、元来面倒くさがり屋の性格から、やるべきことをぎりぎりまで手をつけなかったり、やりたいことも先送りしたり、やらなかったりで、それが原因でストレスになることもありました。現在の体調は良好ですが、多発性骨髄腫の特性上いつ再発するかわかりません。だから病気を機に遊びも仕事も「やりたいこと、やれることを先送りしない」と決めました。積極的に行動するとすべてのことが余裕を持って回るようになり仕事も順調、ストレスを感じることも減り生活の質も変わったような気がします。

脊椎を補強しているため長時間座ることが難しく、海外旅行は諦めていましたが、どうしてもハワイに行きたくなり、昨年1月に家族全員でハワイ旅行に行ってきました。長時間のフライトはギリギリまで心配でしたが、なんとかハワイに到着、滞在中は毎日快晴で最高に楽しい時間を過ごすことができました。なにより、その後の世界的な新型コロナウイルス感染拡大で渡航禁止となり、最高のタイミングで行くことができました。
また、以前夢中だったサーフィンを昨年、再開。サーフボードを買って15年ぶりに海に行きました。以前は簡単だったパドリングも一苦労でしたが、とても気持ちよく心が元気になりました。こういったメンタルが病気にも良い影響を与えるのではないかと考え、これからも、プライベートに仕事に、一日一日を大切に楽しんでいきたいです。

取材/文 北林あい