インタビュー

副作用に募る不安。でも「絶対、やり遂げる」と決心

2021年1月6日
Tさん
疾患名: 多発性骨髄腫 年齢 50代

予想もしなかった、がんの告知。時間をかけて自分と、そして病気と向き合い治療に踏み出したTさん。一度決めたらやり遂げる強い意思と、患者会を通して出会った仲間の存在を支えに乗り越えた2年間の闘病を振り返ります。

病気を受け入れられずサードオピニオンまで受診

多発性骨髄腫。聞いたことのない病名を告げられて、「どうしよう、どうしよう」と最初は戸惑うしかありませんでした。治療薬による副作用の不安と、病気になったことを信じたくない気持ちから治療に踏み出せなくて。「すぐに治療の必要はないですよ」という言葉を期待して、セカンドオピニオン、サードオピニオンも受けました。「治療は必須」。主治医を含む3人の医師が揃って出した答えに落胆し、それでも患者会の仲間に背中を押され、告知から約半年後、覚悟を決めて移植前の抗がん剤治療を始め、自家移植を行うことになりました。

「辛い」と気兼ねなく言える仲間の存在に感謝

最初に体の異変を感じたのは約10年前です。息苦しさと、パジャマやシーツがぐっしょり濡れるほどの異常な寝汗……。血液検査は異常なし。毎年受けている人間ドックで肝臓の数値が高く再検査を受け、脂肪肝と言われましたが、症状との関連はなく治療は行っていません。その後、夫が転勤になり引っ越し先の病院で改めて人間ドックを受けると、すぐに血液内科を受診するように言われ、そこで初めて「多発性骨髄腫」と告知されました。

家族は夫と、当時中学生だった娘の3人です。看護師さんに「お母さんの抱えている不安は娘さんに伝わるもの。病気のことを包み隠さず話したほうがいい」とアドバイスされ、娘には病名もきちんと伝えました。ショックを受けているようには見えませんでしたが、私の知らない所で気を揉んでいたかもしれませんね。我が家は互いに干渉せず、自分のことは自分で、という主義。それは私が病気になってからも変わりません。ただセカンドオピニオンを受けるにあたり病院から多発性骨髄腫に関するDVDを渡され、それを一緒に見たことで夫は多発性骨髄腫という病気や私が置かれている状況を理解してくれたようです。夫がこの病気を理解してくれていると思うと気持ちが楽になりました。

当時は引っ越しをしたばかりで周りに病気のことを打ち明けられる友人が少なく、一番の支えは患者会の仲間でした。気兼ねなく「辛い」と言える存在が身近にいたことが助けとなり、一人で抱え込んでいたら精神的に参っていたかもしれません。治療前にサバイバーの皆さんに治療の段取りを聞くと、1ヵ月後、1年後の自分を想像できて漠然とした不安が減り心の準備が整ったのを覚えています。自分の治療法や体験を押し付けず、「多発性骨髄腫の治療法はさまざま。主治医と相談して進めるように」と中立の立場で適切なアドバイスをくれたことに感謝しています。

目に見える副作用は写真に記録して「リアル」を伝える

抗がん剤治療が始まると、便秘や体の痛みなどに悩まされました。一時は脚のむくみが悪化してふくらはぎをちょっと触るだけでも痛みが走り、歩行に支障が出るほどでした。でも通院時に少し歩くと血流が改善し、病院に着くと症状が緩和しているので副作用の辛さを言葉だけで伝えるのは難しく、悪化した状態を写真に記録し診察時に提示したら薬の量を調整してもらえることに。医師に副作用の症状を理解してもらうには、より具体的に、根気よく訴えることが大事だと感じました。また見た目には病気だとわかりにくく、外出時に歩行の補助として買った杖は不調があることを周囲に伝えるサインとしても役立ち、杖のおかげで周りの目を気にせず優先席に座れたのはよかったです。その後の自家移植も辛かった……。でも「一度やると決めたら、途中でやめない」。どんなに大変でもやり切ると決めて、患者会の皆さんに励まされながら二度にわたる自家移植を完遂しました。

もう一度働けることが喜び。今できることを精一杯楽しみたい

今は体調が安定したのでアルバイトを始め、仕事ができる有り難さを噛みしめています。結婚後もずっと仕事を続け、引っ越し先で新たな仕事を探そうと思った矢先の告知だったので、治療費はかかるのに自力で収入を得られないことが怖くて、不安でした。今、仕事復帰のスタートラインに立てたことで、経済的な心苦しさから少し解放された気がします。再発の不安はありますが、今できることをやろうと思えるようになり、思い悩むことに時間を費やすよりやりたいことを楽しみたいです。

取材/文 北林あい