インタビュー

3度のがん、娘の20歳の誕生日は家族でお祝いしたい!

2019年10月25日
株式会社オーシャンブリッジ ファウンダー
高山知朗さん
疾患名: 急性骨髄性白血病・B細胞性リンパ芽球性リンパ腫・脳腫瘍 年齢 48歳

急性骨髄性白血病で臍帯血移植を経験した高山知朗さんへお話を伺いました。

今日は、脳腫瘍やB細胞性リンパ芽球性リンパ腫を克服したのち、急性骨髄性白血病で臍帯血移植を経験した、高山知朗さんへお話を伺います。

臍帯血移植を受けたときの状況を教えてください

2017年に急性骨髄性白血病という病気がみつかりました。その前に実は2回がんをしていて、2011年に脳腫瘍のグリオーマ(手術がうまくいき、ほぼ治ったという状態になるまで丸5年かかりました)、その後に悪性リンパ腫、中でも急性リンパ性白血病と同じ種類という悪性リンパ腫・急性リンパ性白血病(B細胞性リンパ芽球性リンパ腫)を発症しました。その時は化学療法でうまくいきました。寛解して、通院での定期検査で診てみていくことになっていて、その定期検査の時にたまたま急性骨髄性白血病がみつかりました。

移植のための入院期間を教えてください

2月下旬に入院をしまして、移植を受けたのが4月14日、退院をしたのが確か7月。1度退院をしているのですが、その後何度も熱を出したりしてしまって、再入院して退院して、ということを3回くらい繰り返しました。ようやく入院することなく家で過ごすことができるようになって落ち着いたのが10月くらい、という感じでした。

入院中に困ったこと、つらかったことは?

移植は本当につらかったことばかりが思い出されるのですが、それこそ前処置の抗がん剤治療の副作用が1週間や10日後くらいからいろいろ出てきます。並行して移植を受けるわけですが、移植を受けた直後はいろんな症状、苦痛が次から次へと押し寄せてきました。本当に、数時間おきに新しい症状が出てきました。40度を超えるような発熱が数日間続いたかと思えば、今度は朝方に胃がものすごく痛くなって、急激な痛みがきて、看護師さんを呼んで、先生を呼んで、という状況を日々繰り返しました。

移植にあたって、病棟にいた先輩患者さんから「1か月はつらい。移植をしてから1か月は本当につらいけれども、それを乗り越えればなんとかなるから」と言われ、歯を食いしばっていろんなことを乗り越えていったというのが移植治療でした。

治療中に嬉しかったことを教えてください

ものすごくよく覚えていることが一つありまして、それは生着した日の話です。移植患者さんというのは、移植したドナーさんの造血幹細胞が自分の身体に生着して新しい血液を生み出してくれるのかどうかが一番不安になるところだと思います。生着不全になって再移植になるとまた大変なことなりますので、生着するかどうか、不安に思いながら生着日を迎えて一安心します。

自分の場合は、4月14日に移植をして5月6日に生着をしました。実はその日(正着日)が自分の誕生日だったのです。それまで、移植から1か月くらいの間は小学生の娘がお見舞いに来るのは、無菌室で治療を受けているので少し避けるのがいいだろう、と娘に会えずにしばらくいました。しかし、誕生日にサプライズで妻が連れてきてくれ、娘に会えたことがびっくりして嬉しかったことです。

さらにもう一つ、娘とサプライズで会っていたデイルームに自分の担当の先生が来て「高山さん、今日無事生着しましたよ」と報告に来てくれて。家族みんなでまた喜び合って、誕生日と同時に生着をお祝いした、というのが、すごく嬉しかった思い出です。

移植に臍帯血移植を選んだ理由を教えてください

実は2回目のがん、B細胞性リンパ芽球性リンパ腫の時に基本的に化学療法で治すという道を選択しました。先生からは「移植をした方がどちらかというといいかもしれない。ただ、学会としては移植すべきかどうかっていうのが実はまだ結論が出ていない。」という話を聞いて、化学療法を選びました。ただ移植の可能性も選択肢として残しておきましょうということで、HLAの検査をして、ドナーの検索をしたのです。そうしたら、なんと適合するドナーさんがゼロだということがわかりました。結局、移植はせずに化学療法のみでいくことを選択して、無事寛解に至ったわけなのですが、3回目の急性骨髄性白血病の時には「臍帯血移植しかないです。」と先生から言われました。

ご家族の様子はどうでしたか?

脳腫瘍、それからB細胞性リンパ芽球性リンパ腫を乗り越えて、これからやっと家族で平穏に暮らせると思っていたタイミングでの3回目のがんの告知、急性骨髄性白血病がみつかったということで、やはり、家族もすごくショックは受けていました。

ただ、前2回の経験がありましたので今回、急性骨髄性白血病の移植治療を乗り越えるしかないということで、妻も娘も応援してくれて、足しげく病院に通ってお見舞いに来て、勇気づけてくれました。

現在、お仕事をしていますか?

実質仕事はほぼしていない、仕事という意味での仕事はしていないというのが現状ですね。

実は3回のがんの治療中に、元々ソフトウェアのベンチャー企業を創業して経営していたのですが特に2回目のB細胞性リンパ芽球性リンパ腫の長期にわたる抗がん剤治療の途中に、やはり社長が長期で不在になるのはまずいということで会社の現場を取り仕切ってくれていた人間が「私が社長をやりますので高山さんは会長になって、当面はとにかく治療に専念してください。」と言ってくれて、会社の社長からはいったん退いたのです。

当然、自分としては闘病を終えて、退院をして、体力・気力を回復させてまた現場に戻る、というつもりで頑張っていたのですが、やはり長期にわたる抗がん剤で失った体力というのはなかなか戻ってこなくて。これはもう現場で仕事ができるまで体力を戻すのは難しいな、ということに途中で気が付いてしまいました。それで、会社の方はもう身を引こうと決めました。

同時に会社の株も手放して、株主としても、社長としても、会社を成長させていってくれる方に会社を託そうということで売却しました。 売却先である今の親会社のご厚意もありまして、今後も(もともとの社名である)オーシャンブリッジとして経営していきますし、創業者として経営陣に対してアドバイスするファウンダー、経営陣に対しての相談役というような位置づけの役職をもらってやっています。

ただ、事実上、基本的には家にいて、会社に出社することはほぼ無く、相談事項があるときに経営陣からの相談に乗る、といった状況です。

著書についてのお話を聞かせてください

1度目のがん、悪性の脳腫瘍(グリオーマ)を乗り越えて2回目のがん、B細胞性リンパ芽球性リンパ腫を乗り越えたときに、元々、ベンチャーの経営者をやっていたので、会社の社長ブログというものを書いていたのです。その後自分が病気になってしまったので、闘病記を書くようになりました。すると、非常に多くのグリオーマの患者さん、悪性リンパ腫、 白血病の患者さんが見てくださって。

せっかくなので、より多くの患者さん、ご家族に自分の体験をブログだけじゃなく届けたいと、『治るという前提でがんになった』という本を書き、2016年に出版をしました。これは1回目と2回目のがんの闘病記を綴った本なのですが、 その後に急性骨髄性白血病になってしまい、現在は2冊目の本を書いて、自分の闘病から学んだこと、気付いたことなどを発信していきたいと思っています。

これからの目標をお聞かせください。

そうですね、1度目のグリオーマになったときに自分は死ぬかもしれないっていう現実に直面したのです。少なくない割合で亡くなってしまう方がいる、グリオーマのグレード3という病気だったのですが、その時に「自分は絶対死にたくない。」と思いました。

当時、娘はまだ1歳。この小さい娘の成長を見ずに死ぬわけにはいかないと強く思いまして、その思いもあって1回目のがんに限らず、3回目の移植治療を乗り越えてきました。とにかく、娘が20歳になって、その誕生日を妻と娘と自分の3人でお祝いすることを人生の目標としてきました。

これからも、まずは家族と過ごす時間を第一にして、それ以外の時間で、ブログや本を通し自分が経験したこと、自分が経験した中で見えてきたこと、わかったことを発信し、同病の患者さんやご家族、お医者さん、看護師さんを含めて、このような経験をしても、このようなものを得た、こういうことに気付いて家族と幸せに過ごしている患者がいる、ということをいろんな方に知っていただきたい、そういう活動をしていきたい、と思っています。

動画をご覧の方へメッセージをお願いします

移植治療というのは本当に大変な治療で、乗り越えなければいけないことも多く聞きます。しかし、一つ一つ乗り越えていけば必ず病気そのものを完全乗り越えることはできるはずだと思っています。そのためにも、病気を乗り越えた先に何をしたいのか、どんなことをしたいのかという気持ちを強く持って、乗り越えるというのが非常に重要だと思っています。

自分としては、 娘の20歳の誕生日を家族で祝うということを常にどの病気の時にも強く思って乗り越えてきました。これから移植を受ける患者さんは、いろいろ不安なこともあると思うのですが、必ず乗り越えることができる、乗り越えた患者さんがいっぱいいることを知っていただきたいです。

乗り越えた先に、自分が何を得たいのか、したいのか。目標を強く持って、それを軸にするのがいいのかな、と思っています。その強い気持ち、何としても乗り越えるという強い気持ちがあれば必ず乗り越えて、病気が治ったと言えるところまでたどり着くことができると思います。

 

聞き手:古賀真美