今も治療と併走しながら仕事、趣味に一生懸命

自覚症状がないことも多いのが慢性骨髄性白血病。今回話をうかがった40代男性も別の体調不良で病院に行ったことをきっかけに診断に至ったそう。押し寄せる不安とどのように向き合ってきたのか、8年にわたる闘病を振り返っていただきました。

里田守さん・45歳男性(罹患時37歳)・慢性骨髄性白血病

薬を飲み続ける日々に募る、先の見えない不安

2014年に慢性骨髄性白血病(CML)と診断されたときは、「白血病」という病名に対する恐怖心が先行してしまい「これからどうなるんだろう」という不安しかなかったです。診断されたその日に分子標的薬を処方され、白血球の数値がしっかり減ってきたのは薬を飲み始めて1年近く経った頃です。それまでは「薬を飲むだけで本当に良くなるのか。無症状なのに何を基準に治ったと言えるのか」という先の見えない不安があり、常に病気のことが頭から離れませんでした。精神的には最初の1年が一番辛かったです。

副作用も「何が起こるかわからない」のが最大の不安要素でした。でもCMLについて一通り勉強し、患者会で他の患者さんが経験した副作用の話を聞き、心積もりができるようになると気持ちが楽になりました。患者さんとのつながりにも感謝しています。今では少しくらいの体調の変化では慌てなくなり、自分でどうにもならなくなったら主治医に頼るしかないと割り切っています。8年も治療を続けていると治療しながら生活するのが当たり前になり、頭の中が不安でいっぱいになることはなくなりました。

薬の副作用で甲状腺を患い休薬

副作用は、服薬を始めてまもなく3カ月くらい下痢が続きました。いつまで続くのかと不安になりましたが、会社では仕事の合間を見計らってトイレに行き、休職するほどひどくならなかったのは幸いでした。ところが治療を始めて3年目の夏、今度は心拍数が上がるようになり倦怠感にも見舞われました。夏バテかと思っていましたが、検査をしたら甲状腺機能亢進症と診断。白血球の数値が安定していたので半年間だけ休薬し、その後は薬の量を半分に減らして治療を再開しました。今は副作用もなくなり、減薬したまま寛解を維持しています。

両親のサポートや職場の気遣いに感謝

副作用や治療法以外で不安だったのは、高額な治療費です。治療を始めた当初は高額療養費制度を利用しても毎月4万円~6万円程かかり、その金額を見たときは「えっ!」と驚きました。最初は両親にサポートしてもらいましたが、仕事を辞めずに済んだので今は自分でまかなえています。同居する両親は食事に気を遣ってくれたり、患者会の情報を集めてくれたりと一番支えてもらいました。職場では直属の上司にだけ病気のことを伝えたところ、転勤がないように人事に掛け合ってくれて、そのおかげで転院せず治療を続けられたので周りの人の支えに感謝しています。

周りの人に「白血病」と伝えると、壮絶な闘病生活のイメージが先行するらしく「いつから入院するの?」「帰ってこられるの?」と話が飛躍してしまいこちらが戸惑うことがありました。そんなときは、白血病は血液がんの総称でいくつかの種類があること。CMLは薬で治療できることをきちんと伝えるようにしています。

その後、勤めていた会社を退職して3年前に父親の経営する会社を継ぎました。前職とは業種がまったく違うので苦労は多いですが、治療を続けながら仕事をしっかり頑張っていこうと思っています。趣味のロードバイクとゴルフは治療を始めてから半年程やめていましたが、検査の数値が正常に戻り主治医に「始めていいよ」と言われて再開しました。以前ほど無茶はしませんが、それなりに楽しんでいます。

取材/文 北林あい