断薬の臨床試験に参加し、取り戻した日常

慢性骨髄性白血病を発症したのは52歳のとき。分子標的薬による治療を経て断薬の臨床試験に参加。その後も寛解を維持し、60代を迎えた男性に話をうかがいました。

大森真二さん・65歳男性(罹患時52歳)・慢性骨髄性白血病

「まさか自分が……」最悪に備え、最善の行動を

2008年の秋、だるさが続いたのでかかりつけの内科で血液検査をしたら白血球が正常値を超えていると言われ、別の病院で精密検査を受けて慢性骨髄性白血病(CML)と診断されました。テレビドラマで「白血病」という病名は聞いたことはあってもまさか自分がなるとは……。まさに青天の霹靂、ショックでしたがピンとこないというのが正直な気持ちでした。医師の説明はまったく頭に入ってこないし、質問する余裕もなかったです。たまたま兄の知り合いに白血病患者の支援活動をしている方がいて、検査に同行してもらったり、セカンドオピニオンの医師を紹介してもらったりと本当にラッキーでしたし心強かったです。

慢性期といえども、治療開始が遅くなればなるほど予後が良くないということも後に知ることになります。CMLについてインターネットで調べてみると、生死に関わる重大な疾患とわかり不安が膨れ上がってきました。死への恐怖感もわいてきて、最悪に備えて最善の行動をとろうと、まずは遺書を書きました。一方で今は良い治療薬があり寛解率も高いと知り、前向きに頑張ろうと思えたので治療に迷いはなかったです。インターネットの情報は玉石混交ですが、その中から正しい知識を得ることが未知の治療への第一歩となりました。

患者も心を開き、医師と信頼関係を構築

大学病院のそれも血液内科での診察は、私にとって初めての体験で、“患者は主治医がおっしゃることは絶対で、すべて受け入れるしかない。”いうイメージを持っていました。しかし、診察回数を重ねるに伴いそうした主従関係は少なくなり、患者自身が積極的に病気や治療法を学び、患者が主役で医師は最適な医療を提供する強力なサポーター、という関係性が生まれてきたように思います。私の場合、わからないことを診察のたびに質問するうちに主治医との間に強い信頼関係と絆が生まれ、診察が100回を超えた今も非常に良い関係です。主治医と接するときに心掛けたのは、「良い患者になる」ことです。私が思う良い患者とは、医師が自分の家族のように接したくなり、アドバイスしたくなる患者。そのためには患者側から心を開き、治療に積極的に向き合っている姿勢を見せる必要があると思い、服薬記録や日々の体調を綴ったノートを作り診察時に持参しています。

断薬して辛い副作用から解放、寛解を維持

服薬を始めて10日目くらいから脚がひどく痙攣し、一度症状が出ると20分くらい続くので大変でした。さすられても収まらず、脂汗を流しながらただひたすらに痛みが過ぎ去るのを待つという状態が続きます。筋肉に負担がかかる動きを控え、車を運転するときは高速道路を避けるようにしました。ほかには肌の色が真っ白になり皮膚も弱くなりましたが、薬が効いていると思えば辛さより有難い気持ちが勝るもの。肌の色はファンデーションでカバーし、テニスのコーチをしているので紫外線から皮膚を守るために夏でも長袖を着てコートに出ないと、日焼けでとんでもないことになります。

一日も休まず薬を飲み続け、6年かけて分子遺伝学的完全寛解(CMR)を達成。その頃、インターネットで断薬の情報を知り、主治医からの打診もあって前向きに考えるようになりました。断薬には臨床試験に参加する必要があり、「一番深いレベルの寛解状態を2年以上維持」という参加条件をクリアした2014年3月に登録。ようやく寛解したのに断薬して再発したら元の木阿弥という気持ちもありましたが、期待のほうが大きかったです。もし再発しても治療を再開すれば寛解に至る事例が多いという海外のデータにも後押しされました。断薬したら副作用がみるみるうちに軽減されて生活の質が上がり、断薬から8年経った今も寛解状態を維持しています。病気になる前より疲れやすくなったのは否めませんが、無理のない筋トレやウォーキングをして体力維持を心掛け、テニスのコーチも続けています。

闘病、死別。辛いことが教えてくれた「気づき」

闘病中は一緒に暮らすパートナーに支えてもらいました。仕事を休んでいる間は彼女が仕事を増やして家計を支えてくれて、食事にも気を遣ってもらいました。一緒に病気と闘ってくれた戦友のような存在です。しかし彼女は、数年前にがんで他界。恩返しできなかったことが心残りでなりません。人生は山あり、谷ありだとつくづく思いますね。辛い事があると気付かされることも多く、自分は一人では生きていけないと痛感したし、彼女を失って人を愛することの素晴らしさを切に感じています。今は一人暮らしなので万が一再発したときのことを考えると不安になりますが、同じマンションの住人の方々が私の体調を気にかけてくれるのが有難いです。病気のおかげで人とのつながりは一層強くなりました。

取材/文 北林あい