女性が若くして慢性骨髄性白血病を発症すると、治療が妊娠と出産の壁になることがあります。今充実した50代を送る女性に、CML治療と不妊治療に奮闘した30代と現在の思いをうかがいました。
流産の直後、血液検査で見つかった「異変」
20代後半から不妊治療を始め、30代になって体外受精で待望の第一子を妊娠しました。でも8週目で流産してしまって。不妊治療は大変だけど諦めずに続けていると妊娠できるんだって、喜んだ矢先の流産でした。流産の手術後、白血球の数値が高いことがわかり、手術で細菌に感染した可能性があると言われて抗生剤を投与しました。でも一向に数値は下がらず、血液の病気かもしれないからと血液内科へ。医師は「しばらく様子を見ましょう」と言いましたが、もし病気なら早く治して不妊治療を再開したいと思い、マルク(骨髄穿刺検査)を受けたらCMLでした。
診断後、親友に電話をしたら、知り合いにCMLを経験した女性がいるからと紹介してくれたんです。お会いしたら病気をしたとは思えないほど元気で、その姿を見て「私も治るんだ」という希望が持てました。「患者の先輩として、できることがあれば協力する」という言葉も心強くて。私も誰かの役に立ちたいと思い、院内で患者会を立ち上げたんです。病気になって自分はもういらない存在なのかなと悲観的になりましたが、患者さん達と笑って泣いて励まし合い、誰かの役に立つことで存在価値を取り戻し、私自身も救われた気がします。
やるだけやって不妊治療に一区切り。病気の治療に専念
告知されて「まさか私が」と思いましたが、流産のショックのほうが大きかったです。妊娠を諦めきれず服薬治療を始める前に採卵を試みましたが、ホルモンバランスが不安定だったのか採卵は失敗。そんなとき寛解後に休薬して妊娠した例をアメリカのサイトで知り、いくつかセカンドオピニオンを受けるなかで「3年治療を続けられたら休薬を考える」という医師に出会い、前向きに治療する意欲がわきました。
夫には「不妊治療はもうやめていいんじゃないか」と言われましたが、一度妊娠できたしCMLの治療を3年頑張ってもう一度トライしたら妊娠できるかもしれないと思い、諦めきれませんでした。幸い順調に寛解し主治医から休薬の許可が下りて不妊治療を再開。でも病気が再発してしまい再び薬を飲む生活が始まりました。結局妊娠は叶いませんでしたが、とことんやったし「これで終わり」と自分の中で区切りをつけられました。今は数値が安定しているので薬の量を減らし、寛解を維持しています。
病気をしなければ出合わなかった、新しい仕事にやりがい
発症した当時は、法律事務所で経理の仕事をしていました。仕事は楽しくて絶好調だったし診断されたときは、「なぜこのタイミングで?」と思いました。薬の副作用で嘔吐がひどく、通勤前に薬を飲むと電車に乗る前に吐き気がこみ上げてきて辛かったです。食欲も落ちてガリガリに痩せてしまい、服のサイズはXSまでダウンしました。そんな状態でも1年くらい仕事を頑張りましたが、会社からは病気を理由に配置転換や納得できない対応が続き体力的、精神的に疲れてしまい退社しました。治療費がかかるのに仕事を辞めたので夫には申し訳ないと思いましたが、治療費は「生きるために必要な経費」と考えて自分を責めるのをやめました。
今は市役所の障害福祉課で、障害のある方の生活を支えるケースワーカーとして働いています。友人に病気の話を聞いてもらったことで、人の相談にのる仕事に興味がわいたのがきっかけです。働きながら精神保健福祉士の資格も取りました。病気にならなければ開けなかった世界だと思います。困っている人の相談にのるにはエネルギーが必要で、自分の体調が安定していないと務まりません。それもあって以前より自分を大事にするようになり、交流する人も私を大切にしてくれる相手と一緒にいるようになりました。それが一番大きな変化かもしれません。
「人生は長い旅」とよく言いますが、発症から18年経って振り返ってみると、その通りだなと思います。確かに辛いことはあったけれど、長い目で見れば生きていたら良いこともかならずありますね。今はとても穏やかな心境ですし、これが私の人生でよかったとようやく思えようになりました。
取材/文 北林あい