移植治療について

「かながわ血液がんフォーラム2019」をレポート2 

■■一人ひとりが当事者となり血液がんを考える。■■

悩みをシェアしつながりを生む「AYA世代の集い」

15 歳から39 歳の血液がん患者さん同士が語り合う「AYA世代の集い」。AYA世代で血液がんを経験した、増田真彦さん、梅津薫さん、橋本正一さん(造血幹細胞移植患者会「心愛の会」「勇希の会」)がファシリテーターを担当。参加者は3名が悪性リンパ腫の経験者、そして「同世代のがん経験者とつながりたい」と血液がん以外の患者さんも参加しました。

ファシリテーターの力も借りてAYA世代共通の悩みを語り合う参加者たち

最初の話題は、AYA世代が直面する妊孕性について。「2 児の母ですが、診断時に3 人目を希望するか医師に聞かれ、『希望していない』と伝え卵子凍結はしていません」「卵子の凍結保存を選択しました。県の制度を利用し、妊孕性温存治療に必要な費用の一部助成を受けましたが、それでも大きな出費でした。現在、抗がん剤治療により閉経中。凍結保存はしたけれど果たして妊娠できるか不安です」と女性参加者。ファシリテーターの橋本さんは男性の立場から、「私は36 歳の時、精子の凍結保存を選択しました。現在52 歳で独身。でも、保存しておけば子どもを授かる可能性はゼロではなく、自分の選択を前向きに捉えたい」とコメント。精子・卵子の凍結保存をしても必ず妊娠できるわけではなく、まずは病気を治すことが先決という現実もあり、様々な葛藤が伝わってきました。

「今後の不安」に話が及ぶと、真っ先に語られたのは「お金と仕事」。「正社員なので傷病手当金をもらえましたが、もし仕事を辞めたら再発の不安がある人の再就職は難しそう」「私は半年ごとに契約が更新される雇用形態なのでそのたびに不安」といった声が聞かれました。雇用形態など状況は様々ですが、お金と仕事の問題は治療の継続に直結するため常に不安を抱えているようです。

しかし、不安を抱えながらも日々を生きる気持ちは前向きです。「できること、食べられるものを楽しみたい。今はフラダンスが楽しい。趣味がはり合いになっています」「少し先の待ち遠しいことを探すように意識しています」と語り、できないことよりできることに目を向け、「今日」を自分らしく生きようとする姿勢が印象的でした。

今回、みなさんが共通して感じていたのが、「同世代の血液がん患者と出会う機会が少ない」という現状。AYA世代が直面する結婚、出産、仕事などの悩みをシェアし、様々な価値観に触れ、有効な情報を得る場作りの必要性を強く感じました。

ドナーと移植経験者が本音を交えた「血縁ドナーの集い」

「血縁ドナー」とは、兄弟・姉妹・親子など患者さんと血縁関係にあるドナーの事。初開催となるこの集いは、自身も弟さんに骨髄提供をしたCNJ理事の古賀真美氏の発案で実現。司会は大野明美さん(神奈川工科大学看護学部看護学科 講師)、アドバイザーは秋山典子さん(横浜市立大学附属病院 中央無菌室 HCTC)が担当しました。

今回の「血縁ドナーの集い」には、「ドナーの気持ちが知りたい」という思いで、骨髄バンクを通して移植した血液がん患者さんも参加しました。「ご家族と白血球の型であるHLA型が適合したときの気持ちは?」と、移植経験のある患者さんに問いかけた大野さん。血縁者から骨髄提供を受けた参加者は「移植にはリスクがあるので、移植をしていいのか迷った時期がありました」。「私は子供とHLA型がフルマッチで、親子間では珍しいケースだと主治医も驚いていました。子供は『親孝行できる』と喜んでいましたが、周りから『お母さんを助けるために生まれてきたんだね』と言われるたび、有り難いと感じる一方で不憫だとも思った」とコメント。

家族の関係性は様々で、家族が発病しても「私はドナーになりたくない」というケースはあり、第三者の「家族なのだから提供するのが当たり前」という勝手な常識は、患者さんと家族を追い詰めるという意見も聞かれました。秋山さんは移植コーディネーターの立場から、「HLA型が一致してドナーになることに不安を覚えるご家族もいます。なので『よかったですね』ではなく、血縁者間で一致した確率に対して『すごいですね』と言葉を掛けるようにしています。当事者が一番望ましい状況に導けるよう尽力したい」とコメントしました。

また移植経験者は、「『ありがとう』が言いやすいのは移植を受ける側。ドナーは自制心が働き感情に蓋をしがちなのでは」と発言。ドナーの胸中を察するコメントが聞かれたのは、ドナーと患者さんが共に語り合えた成果ではないでしょうか。

秋山さんは、「家族の形や思いは様々です。移植後、元の家族関係を取戻し、それぞれの家族に合った関係性が築けるようドナーが本音を言える場作りをしていきたい」と締めくくりました。

闘病の支えになる情報と勇気を発信する「多発性骨髄腫体験談」

長い治療の様子とその経過、心の支えにしたことなどを語ってくれたのは、2名の多発性骨髄腫サバイバー。司会は建部美由紀さん(多発性骨髄腫患者・家族の交流会「はまっこ」)が担当。オブザーバーに仲里朝周先生(横浜市立市民病院血液内科 診療科長)を迎え、質疑応答では高橋寛行先生(神奈川県立がんセンター血液・腫瘍内科 医長)にも回答をいただきました。

大会議室。定員を増やしたもののほぼ満席でした

■「治療と共に仕事や趣味を楽しんで生きる」 吉田富雄さん

「54 歳の時、他の病気で血液検査をしたところ多発性骨髄腫と診断されました。検査のたびにIgG値が上昇し、VAD療法後に自家移植へ。その後、帯状疱疹に悩みましたが治療経過は順調で移植から1年後、NY旅行を楽しみました。しかし4 年後に再び数値が上昇し、サリドマイドを使用したところ心臓の数値が上がり、IgG値は下がらず休薬。二度目の自家移植となり入院しましたがバセドー病を発症し移植は延期に。症状が回復したところで自家移植を行い、地固め療法、維持療法へ。ステロイドの副作用で躁鬱、声のかすれなどがありますが、手足のしびれはなく趣味のステンドグラス制作などを楽しんでいます」

自宅で学習塾を経営しながら治療を進めている吉田富雄さん

「治療中も旅行など好きなことに没頭したのでQOLが上がり、入退院を繰り返しましたが周囲のサポートのおかげで塾経営の仕事を続けられました。そして、多発性骨髄腫患者・家族の交流会「はまっこ」と出会い、同じ病の人と話すことで勇気をもらいました。仕事と趣味に前向きに取り組める今が幸せです。この病気は数値に左右されますが、悲観的にならずしぶとく生きることが大事。副作用の理解を深めるために情報を集めることも大事です。私のようにのんびりした長距離ランナーがいることを知ってもらい、治療しながら粘り強く生きてほしいです。楽しいこともたくさんあります。体の声を聞いて明るく生き、自分らしく様々なことにチャレンジしたいもの。少しでも長くこの病気とつき合っていきたいです。みなさん、一緒にがんばりましょう!」

■「今日も『良いこと探し』」 佐藤孝子さん

「人間ドックで異常が見つかり、44 歳で多発性骨髄腫と診断されました。確定診断を受けた日に見た満開の桜が違う世界の出来事に思えたことを覚えています。治療はVAD療法を経て2009 年に自家移植。2011 年には再燃による腰椎圧迫骨折で緊急入院、車椅子生活になり『これからどうなるだろう』と不安になりました。2012 年に二度目の自家移植を行い、地固め療法を経て現在は維持療法を継続中です。VAD療法の副作用による末梢神経障害で趣味のフルート演奏に支障が出たため、その後の治療の際には主治医に早めに相談するように心掛け、治療の合間にはウィーン演奏旅行なども楽しんでいます」

趣味のフルートにお仕事にと楽しんでいる佐藤孝子さん

「確定診断当初、ネットで情報収集をすると『余命○年』『予後不良』とネガティブな言葉が目に付き、本を開けば『○○でがんが治る』といった言葉が躍り、なかなか必要な情報にたどりつけませんでした。当時はまだ今の形ではありませんでしたが、おすすめしたいのは国立がんセンター・がん情報サービスのサイト及び、そこからダウンロードでき、がん全般の知識が載っている『がんになったら手に取るガイド』などです。また、治療が始まると一人では対応できなくなることが増え、今まで以上にコミュニケーションが大切になります。治療を選択するにあたり、主治医には自分が大事にしたいことを伝え、職場では病気の事を『誰にどこまで伝えるか』に悩みました。上司及び同じチームの同僚には、できること、できないこと、配慮してほしいことを詳しく伝え、その他のスタッフには『ウィッグがずれていたら教えて(笑)』などと深刻にならずユーモアを交えた伝え方を意識しました」

「他には、がん情報サービスのサイトからダウンロードできる『わたしの療養手帳』などを活用し、『どんな副作用が、どの程度あり、どのくらいで回復したか』など治療の記録をつけ、主治医に伝えると共に、次の治療時の参考にしました。職場では業務の内容を共有できるよう心掛け、家族や同僚に言いづらいことは、患者仲間や職場のカウンセラーに相談し力をいただきました。今も心掛けているのは、やりたいことや大事なことを最優先に。そしてたくさんの人に感謝し、できることをありがたく楽しみたいと思っています」

体験談の後は、参加者から募った質問に仲里先生と高橋先生が丁寧に回答。「現在の治療を続けるべきか」「多発性骨髄腫の治療に力を入れている病院を知りたい」「次世代の治療とは」「同種移植での臍帯血移植の有効性とリスク」など、治療に関わる具体的な質問が目立ちました。

Q&Aセッションでは、仲里朝周先生と高橋寛行先生にも加わっていただきました