次男が二度の再発、あきらめないのが親の役目
重くのしかかる親としての責任、治療に対する不安を抱えながらも我が子の前では涙を見せず、常に一番の「味方」であり続けた長い闘病生活を振り返っていただきました。
子どもの病気は親の責任。自責の念にかられた日々
次男の体調に異変を感じたのは、2歳を過ぎた頃です、微熱が続き近所の開業医で薬をもらい様子を見ていましたが一向に熱が下がらず、改めて総合病院で検査を受けることにしたのです。「お子さんは、急性リンパ性白血病(ALL)です」。医師から告げられた結果は、あまりに意外でショックな内容でした。入院を余儀なくされ、白血病について十分に理解する暇もないまま寛解導入療法が始まり、長男を祖父母に預け夫婦交代で病院に泊まり込む日が続きました。長男は両親の気持ちが弟に向いていることを察し、言葉に出さないものの複雑な気持ちだったはず。寂しい思いをさせないために隠し事はせず、親の愛情はどんなときも平等であると伝えるようにしました。
治療中、次男は吐き気、高熱、痙攣に見舞われ、口から泡を吐くこともあり、小さな体で抗がん剤の様々な副作用にたえていました。その姿を見て、「次男が病気になったのは親の責任」と自分を責め続け眠れない日が続いたものです。一時退院の許可がおり、自宅で一緒にお風呂に入ったとき、日常の営みがこんなにも愛しく思えるとは……。その頃の日記を読み返すと、『朝、親子三人で朝食、当たり前の風景であるが、とてもありがたく思う。このまま、再発することもなく順調に治ってほしい』と綴られていて、次男の病気は「日常」のありがたさを教えてくれました。
信頼できる支援者に恵まれ、納得のいく再発治療を選択
次男17歳、最初の再発。スポーツに興じ元気に高校生活を送っていたある日、運動中に息が上がり思うように体が動かない様子でした。念のため血液検査をしたところ、白血球の数値に異常を認め即入院に。来てほしくないその瞬間が、現実になってしまいました。治療を始めるにあたり、年齢的にALLプロトコールは小児と成人のどちらが適切か。医師から提案された骨髄移植を行うべきかなど、疑問点は納得できるまで質問し、セカンドオピニオンを経て最終的に転院を決意。そして、経験豊富な医師のもとで化学療法のみで治療することになりました。
最善の治療を受けさせたいと思うのが、親心というものです。転院に至るまでにはインターネットや専門書で納得するまで情報を集め、血液がん患者の支援を行う一人の女性との出会いも力になりました。価値観を押し付けず、豊富な支援経験に基づく的確なアドバイスが有り難く、辛いことは多かったけど人には恵まれたと感じています。知人の紹介で訪ねたセカンドオピニオンの医師からは、「白血病を治すことが最終目標ではなく、治療後も普通に生活できるようになることが大切。そのための治療や治療後のフォローを考える必要がある」。また、「インターネットの情報は玉石混交なので、振り回されないように。もっとも大切なのは、患者と医師の信頼関係である」とも言われ、ハッとさせられることが多かったです。
不慣れなことに直面したとき、人は弱いものですね。転院を含め親が決めた選択が息子にとって本当に正しいのか。私の選択ミスで万が一のことがあったらどうしようと、ALLを知れば知るほど不安に押しつぶされそうになりました。でも、親があきらめてしまっては絶対にダメ。あがけ、あがけ、我が子のために。そうやって気持ちを鼓舞していました。
長男のHLA型が完全一致。家族一丸で臨んだ骨髄移植
再発治療が終わりほっとしたのも束の間、21歳で二度目の再発となり骨髄移植を行いました。我が家は長男と三男がHLA検査に快く協力し、長男のHLA型が完全一致しました。検査をするにあたっては、白血病のことやHAL検査について息子たちに説明し、承諾してもらいました。次男の回復に向けて家族が一丸となり、絆が深まったと思います。移植から7年経った現在、次男の体調は安定しています。病院での生活が長かったせいで少し人見知りではありますが、仕事に就いて社会の一員としてがんばっています。
思えば長い道のりでした。気持ちの浮き沈みはありましたが、かならず回復する、希望を捨てずに歩んできました。子どもを守るために親があがくのは当然のこと。いま振り返っても、全力を尽くしたと思います。
取材/文 北林あい